赤の広場とエルミタージュ宮殿
赤の広場
クレムリン北東の赤い城壁と、赤いレンガ造りの国立歴史博物館、グム百貨店、聖ワシリ-聖堂に囲まれた赤の広場Красная площадъ(クラ-スナヤプロ-シャチ)は、広さ7万3000平方メ-トル。ソ連時代はこの広場で5月1日には労働者の祭典であるメ-デ-、11月7日には社会主義政権のデモがあるのみでした。
赤の広場にはクレムリンの城壁と国立歴史博物館以外に赤い箇所はなく、ここが赤の広場と呼ばれるようになったのはなぜでしょうか。ソ連時代、メ-デ-や革命記念日には赤い垂れ幕が国利歴史博物館やグラム百貨店の壁面に下がり、人々も赤い小旗大旗を持って歩いたため、広場は赤一色となったのです。
Красная(クラ-スナヤ)というロシア語は、昔は「美しい」を表す形容詞でした。今では「赤の広場」と訳されますが、本来は「美しい広場」と訳されなくてはならないのです。
クラ-スナヤ・プロ-シャチ(赤の広場)と称されるようになったのは17世紀になってからといわれています。15世紀頃、土塁で囲まれたキタイ・ゴラ-トと呼ばれる地区には多くの商人が集まり、露天を開いて活発な商業活動を展開していました。雑然としていた地区を17世紀に整理し、美しく模様替えしたところから、美しい広場、つまりクラ-スナヤ・プロ-シャチ(赤の広場)の名称が出来たのです。今のような長さ695m、幅130mになったのは19世紀末のことです。
エルミタージュ宮殿
サンクトペテルブルクは、フィンランド湾に流れ出るネヴァ川のデルタ地帯に発達した町で、人口はおよそ470万人。ネヴァ川の支流や運河を含めると65本の川と100以上の島があり、これらは365(郊外も含めると623)の橋によって結ばれ、“北のヴェニス”とも呼ばれる水の都です。公園と広場、そして宮殿跡も多いことから“北のパルミラ”とも呼ばれています。そしてこの町が世界に誇るのがエルミタ-ジュ宮殿です。
美術館は、歴代ツァ-リの住まいであった「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれていて1050の部屋をもち、窓の数は2000を数え、120の階段があります。部屋の総面積は4万6000平方メ-トルにもなります。
この建物の中に収蔵されている絵画、彫像、発掘品などのコレクションは300万点に上り、部屋の上にも176の彫像が立っています。大英博物館やル-ブル美術館と並んでコレクション量もさることながら、内容も一流です。美術館である宮殿自体が見事で、帝政ロシアの財力をつぎこみ、全世界から最高級の材料を取り寄せ、一流の職人を招いて作らせた内装と装飾品の数々。ロシアのロマノフ朝ツァーリの権力と豪華絢爛な生活を垣間見ることができます。
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